米津玄帥さんの灰色と青に感動したので、解釈してみます。
灰色と青というタイトルについて
まずタイトルの「灰色と青」です。
これは曲を通して聞くと分かると思うんですけど、
青というのが青春=若かりし頃の自分
それに対して、
灰色というのが今の自分
になっています。
青春に対して、現在。そして現在=灰色。
この歌には、
「みずみずしくて、楽しかった青春」と「くたびれてしまった現在の自分」という視点でえがかれています。
1番の歌詞について
袖丈が覚束ない夏の終わり
引用:灰色と青
袖丈というのは、「着ている服の大きさ」という意味です。けれど服の大きさが覚束ない=はっきりしない、だと少し意味が分からないので、ここでは袖丈を「自分の輪郭」みたいにとらえます。
すると、この部分は「自分がはっきりとしない、夏の終わりの季節」という意味になります。
そしてそんなぼんやりとした「僕」は歌詞の次に、
明け方の電車に揺られて思い出した
懐かしいあの風景
たくさんの遠回りを繰り返して
同じような街並みがただ通り過ぎた
窓に僕が映ってる引用:灰色と青
電車に揺られながら、過去へと思いを巡らせる…というか、過去の自分へと同化していきます。そしてこの部分が曲名にある「青」の部分です。
「たくさんの~」からの部分は、「灰色」に関する描写です。
自分を肯定的に見れずに、成長を実感できていない。窓に映ってる自分を見て、「何も変わってない」と幻滅しているのでしょうか。
君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい引用:灰色と青
「君」というのは、おそらく親友のことでしょう。自分は灰色になり、ボロボロになってしまったけど、親友は変わらずに青春のころのまま元気にしているのだろか、と思っています。
「ひしゃげて曲がった」「膝に滲んだ血」は、そのくらい若く無茶で活力がある遊びをしていた表現です。
最後に「今はなんだかひどく虚しい」と、灰色の自分がしめくくります。
青=青春のころは、すばらしい、楽しかった、と肯定的な感情を持ちつつも、灰色=現在の自分はつまらない現在の自分を肯定できないし、青春のころのようにあらがうこともできない。
Aメロの歌詞にもありますが、
「たくさんの遠回りを繰り返して 同じような街並みがただ通り過ぎた」
ために、僕は疲れ切っているのです。
若く活力にあふれていたころ(青)→うまくいかない→反抗してみる→挫折→それでも → 疲れた(灰色=現在の自分)
ということが読み取れます。
そしてここから、そんなくたびれた「自分」を説明したうえでサビに入ります。
どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う引用:灰色と青
背丈は身長のことです。それから、身体の大きさだけではなく、精神的な成長も含めています。さらに、成長だけではなく「変化」という意味もあります。
どれだけ背丈=身長=中身 これらのことが変わっても、
「変わらない何か」これは、友情だと思います。あるいは、「青」の時代に持っていた熱い思いでしょうか。
それらがないかもしれない。けれど、親友のところにはあってほしい。そんな悲痛な願望が込められています。
「くだらない面影に励まされ」
面影=昔の出来事(青の時代)のことは、もうとっくに過去のことだと頭では理解している。
けれど、そんな昔のことでも、くだらないと理解していても、励まされてしまう。逆説的に、そのぐらい大切な思い出だったということですね。
「今も歌う」
今「も」ということは、きっと青の時代も歌っていたのでしょうね。
ここから振り返ってみると、
歌おうとしてチャレンジした→うまくいかず挫折した→くたびれて、灰色になってしまった→それでも応援してくれた昔のことを思い出して、あきらめきれずにいる
ということが想像されます。
また、
「歌う」ということは「自分らしく生きる」ということを表現させたいのではないでしょうか。
「歌手である米津玄師」に「歌う」と言わせることで、「歌手として全うする」みたいな意味を持ちます。
灰色というのは、燃え尽きたという印象がありますが、きっと「微熱を持ちくすぶっている」という意味も持たせたいのでしょう。
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